「本当にいいんですか?」
 目の前の少年が目を輝かせつつも、申し訳なさそうに尋ねてくる。
 「ああ、構わないさ。君が望むならもう一枚余計にあげてもいい」にやにや笑いがこぼれないように気を付ける。「言い出したのはおじさんなんだから」
 袴田はその日、決して行きつけではないカードショップに足を踏み入れた。行きつけのMtGプレイヤーが多いカードショップは品揃えも豊富だし、値段も相場と差がない。つまり手の行き届いた盆栽を見ているような、なんの驚きもない無い空間だ。
 ここは違う。テナントビルとして貸し出しているのが恥ずかしいぐらいの狭苦しさと薄暗さ、古いパイプ椅子にニスのはげた折りたたみ机。ショーケースもフックもなく、所狭しと積まれたバインダーだけがカードを買うための材料だ。
 袴田は普通の大学生だ。学校以上にバイトには夢中になるし。必修の講義があるにもかかわらず、それをすっぽかして数日がかりの旅行を楽しむぐらいには健全な大学生活を送っている。
 健全な大学生ならば必要経費が嵩むのも当然だろう。そして彼は生粋のゲーマーである。競馬やパチンコは勿論、ゲームセンターの隅に置かれているようなワニの頭を叩き付けるものまで何でも手を出した。なんとか安く遊び尽くせないかと一昼夜悩み尽くした事もある。
 生粋のゲーマーである彼が今最もご執心なのは、MTGというカードゲームだ。資産的にも心構え的にも、安く出来そうだな、と思ったこのゲームは案外どちらも多分に消費するものだった。
 そこで彼は他のカードゲームを使って小金を補充しているのだ、昔取った杵柄もあり、その友人関係もあり手間こそかかるものの苦ではない。
 このみせに今日やってきたのも小金を補充するたの、掘り出し物を探しに、だ。
 最初はそのつもりだったのだが、その店の狭くて汚いデュエルスペースを見やると学生服を着た少年がMTGで遊んでいるのが見えた。彼らの傍らには大特価、と滲んだ赤い文字が書かれたラベルが貼ってある、緑色のトーナメントパックが数個置かれていた。確か六版だったはずだ。
 袴田は興味を持って話しかけた。「よかったら僕とデュエルしませんか」と。普段ならデュエルなんて言葉は口に出さない、せいぜいゲームというところだ。
 片方の少年が「おじさん上手いの?」と訊いてくる。二十歳過ぎれば男はみんなおじさん、女は結婚するまでお姉さん。という言葉を思い出して苦い顔になった。
 テーブル越しに座っている目の前の少年は、学生服に着せられているという印象があるほどあどけない。詰め襟を見る限りではⅠと書かれていたので、中学一年生だろう。
 席を譲ってくれた方の少年は「小学校の頃にやってたんだんだけど、絵が気持ち悪くてさー、やめちゃったんだけど中学生になったんでいいかなー」と訊いても居ないのにはじめた経緯を語り出した。どうやら深く物事を考えられない性格だな、と思った。どことなくチンパンジー顔だ。
 相手のデッキは基本セットのトーナメントパックを無理矢理詰め込んだようなデッキだった。《訓練されたアーモドン/Trained Armodon(6ED)》や《フィンドホーンの古老/Fyndhorn Elder(6ED)》までもデッキの中核を担うほどだ。
 対する袴田のデッキはソーラーフレアだ。ただし、二種類のドラゴンの代わりに《甲鱗のワーム/Scaled Wurm(6ED)》が入っている。
 対戦数は二桁に及ぶが袴田の負けは一つも無かった、相手が変わってもなんということはなかった。ただチンパンジーの方が《恐怖/Terror(6ED)》をデッキに入れていたので、持っていると判断したときは《絶望の天使/Angel of Despair(GPT)》を出したが、それよりもはるかに凌駕する回数で《甲鱗のワーム/Scaled Wurm(6ED)》が勝負を決めた。
 二人はすっかり《甲鱗のワーム/Scaled Wurm(9ED)》が強い物だと刷り込まれただろう。
 下ごしらえは順調「よかったら交換しないかい?《甲鱗のワーム/Scaled Wurm(9ED)》余ってるんだよね」と言ってみる。
 緑を使っていた少年が目を輝かせる、こちらはアザラシに似ているな。
 「でも釣り合うようなカード持ってないよ」と言ってくる。袴田は首を大げさなぐらい横に振り「持ってるカードをみせてごらん」と右手を差し出す。
 もともと何が欲しいかは決まっていた。二人が持っている中で最も高いカードは間違いなく《極楽鳥/Birds of Paradise(8ED)》だ。
 《極楽鳥/Birds of Paradise(8ED)》が欲しい事を伝えると、「え、そんな攻撃力0のモンスターでいいの?」と言われたので、袴田はストレージケースから《怨恨/Rancor(ULG)》を取り出しながら「こいつ飛行もってるだろ。これを装備させて殴ればブロックされない」得意げに話す。
 「でも2点でしょ?ワームは7点だよ。10回と3回じゃ全然話が違うよ」チンパンジーが口を挟む。語気には「簡単な問題じゃん」と含んでいそうだ。
 彼のようなものに限って「学校で教えてくれる事になんの意味もない」と言うのだ。そう君のいままで教わってきた事にはなんの意味もない、そう言い返してやりたくなるようなものが毎年クラスメイトに一人はいた。
 現実で使用出来る計算はつまり事務的なものを除けば三次元的なものだ、MTGでもそれは同じだ。彼らは体験するまでそれを理解出来ない。想像力が足りないのだ。
 だからそんなとき袴田は話を逸らすようにそれを確かめるのだ「どうしてもわからない数学の問題があるんだよ」すると彼らは「どんな問題?」と訊いてくる、彼らは想像力はないが成績はいい、そしてそれを鼻にかける。
 「A=Bという式がある。両辺にAをかける」友人はそれをノートに書き写す。袴田は続ける。
 「そこで両辺にA^2-2ABを足して。あとは括弧でくくってくれ」相手の計算が終わるのを待つ「そのあと両辺を(A^2-AB)で割ってくれ」そういうと相手の顔が歪む。少しでも想像力が働くならそんな顔にはならないだろう。
 室はこのやりとりには必ずといっていいほど同じオチがつく。袴田の悪友である瀬戸が割って入るのだ。
 「AもBもゼロだよ」と。そういわれると相手はやっと気づく、中には「引っかけかよ」と憤慨するものまでいるほどだ。
 袴田は至って冷静に「ああ成る程。引っかけ問題だったのか」と嘯く。「瀬戸は頭がいい」
 「よくいう」
 瀬戸も袴田の悪戯はあまりきらいではないのだろう、なんど同じ事を行ってもまるで悪意を露呈しない。
 アザラシ顔の少年は「本当にいいんですか?」申し訳なさそうではあるが目が輝いている。
 「ああ、構わないさ。君が望むならもう一枚余計にあげてもいい」にやにや笑いがこぼれないように気を付ける。「言い出したのはおじさんなんだから」
 労働対比の利益としては心許ないが。少年達に夢を与えたということで、ここは一つ。そんな風に自分を納得させる。

コメント

引退した隠遁者
引退した隠遁者
2008年9月11日1:09

なんか昔「ぎゃざ」で連載していた小説みたいですね、私は題名を忘れてしまいましたが・・・。
あとリンクさせていただきました。よろしくお願いします。

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